第一子誕生(成の巻)

子供が生まれることとなり、佳代は里帰り(愛知県)。
名前はすでに決まっていた。成(なる)だ。いろんな事に成功しようと努力するように。
産む場所は病院の産婦人科?で生むのかとボケーと思っていたら、佳代は名古屋の助産院で生むと言い出した。
出産というと、病院のドアの外でウロウロしていると、
看護婦さんから「お父さん、生まれましたよ。元気な女の子(願望)です。」と言われて、
ガラス越しに赤ちゃんを見る物かと思っていたら、そうでは無いらしいということを初めて知った。
とりあえず、助産院ってどんなところ?ということで、佳代と一緒に下見に出かける。
結構、こぢんまりとしていて、民宿みたいな感じ。
中にはいると・・・、やっぱり民宿。ほのぼのしていて、結構良い感じ。
1階に診察室と分娩室、大きなお風呂。
2階に4つお泊まり部屋とプレイルームみたいな場所。
佳代が泊まる予定の部屋は畳の部屋だった。
大きなお風呂が気になったので、聞いてみると「水着持ってきてね。」と言われたが、そのときはよくイメージできなかった。
それからしばらく経ち、ついに陣痛が始まったとの連絡有り。急いで車で帰省する。そのときに石川県と愛知県の遠さを感じた。
しかし、急いで帰ってきたのに微弱陣痛という物らしく、なかなか生まれる気配がない。
丁度ゴールデンウィーク中だったこともあり、のんびり過ごすこととした。
動いた方がお産が進むということだったので、散歩したり、庭いじりで花壇を作ったり。
佳代も鍬をふるって作業した甲斐があり、やっと助産院へレッツゴー!!
しかし、そこでもまた微弱陣痛。なかなか大きな波が来ないらしい。
でも、微弱と言っても陣痛は痛いらしく、「腰を揉め」だの、「そこちがう!!」「もう、下手くそ!!」とさんざん言われる・・・。
助産師さんがやってきて、腰をさすったり、揉んだりしてくれると「やっぱり夫とは違うねー。あー、そこそこ」みたいな感じ。
さすがは助産師さん。つぼを心得ているといったところか!!
お産もなかなか進まないので、色々と試すこととなった。
まずは水中出産。「お父さんは水着に着替えてね。」と言われ、佳代と二人でお風呂にドボーン!!結構楽しい。
隣で佳代は定期的に来る陣痛に苦しんでいたが、私はお風呂につかって気持ち良くなって思わず寝てしまいそう。
でも、寝たら間違いなく後で言われるので、腰をさすってあげる。
そうこうしていてもお産は進まず、のぼせてしまいそうだったので水中出産は中止。その後はベッドの上でいろんな体位を試す。
それにしても、助産師さんの体力はすごいと思った。
なんたって、なかなか進まないお産に、一晩中ほとんど寝ないで佳代の腰をさすったり元気づけたり・・・。
助産師という仕事は、子供が生まれるその瞬間のテクニックだけでは無いのだなーと、つくづく感じるのであった。
そうこうしている間に、ついにその時が来た!!
とっても痛そうにしている佳代と、なぜか佳代に怒られる俺(後で聞くと覚えてないらしい・・・。ほんとかしら?)
佳代の後ろ側から支えてあげていると、助産師さんの「もうすこしだよー。がんばってー」という声。
助産師さんに言われて「ヒーヒー、フー」などを佳代と一緒にしていると、ついに頭が出てきた。髪がふさふさだ!!
その後はスルスルっと出てきたかと思うと、元気に「オギャー!!」と泣き叫ぶ我が子。
別に感動なんかしないかな?と思っていたが、やはり、成が初めて泣く瞬間は、かなり感動した。
しかし、感動してばかりもいられない。すぐに「お父さん、はいこれ」とハサミを渡され、ヘソの緒を切る。切る、切る。なかなか切れない。
ヘソの緒という物は弾力があって切れにくく、エメラルドグリーンの綺麗な色をしているということは、発見であった。
(もっとグロテスクかと思ってた。)
それに、出てきた成にも血なんかほとんど付いて無くて、綺麗だった。
後で聞くと、えいん切開すると血が出てしまうが、助産院ではその行為は行わず、
上手な助産師だとほとんど傷つかないから綺麗なのだと言うことだった。
その後は、成が出てきた後の処置(胎盤など?)をしている間、出てきたばかりの成を抱っこで任されるのであった。
後処理も終わり、佳代も登場。爺婆にもその場でお披露目。さすがに佳代は疲れ切った様子でげっそりしていた。
その日からしばらくは俺も助産院でお泊まり。成も同じ部屋。
成が佳代から飛び出してからそのままずっと一緒で、その日から寝るときも川の字。
佳代の体力は弱っているので、布おむつの替え方も早速教え込まれて、成のお世話係に変身。
この出来事で、生まれてすぐに父親としての実感と、家族3人での生活の開始を感じることができた。
父親は当然だが子供を産むことはできない。
そのため「自分の子供」という実感が強まるまでの時間は母親と比べるとどうしても遅くなってしまうと思う。
しかし、今回の「生まれる前、生まれる瞬間、そして、そのまま生まれた後」の流れを隙間無く体験したことは、
自分の父親としての自覚をすぐに強まらせるには十分な経験であったと思う。
今回の経験がもしなかったら、産後の佳代の体調と育児の大変さを理解するには時間がかかっていただろうとさえ思う。
そして退院。初めから最後まで親身になってお世話をしてくれた助産師さんにとても感謝すると共に、
これから待ち受ける未知の領域「子育て」に、少しドキドキするのであった。

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第二子誕生(観の巻)

二人目が生まれることとなった。
今回は、石川県の助産院で生むことに。
一人目の時、助産院出産で立ち会い出産だったので、今回のお産はイメージしやすい。
でも、地元が二人とも愛知県で、近くに親戚もいないことから若干の不安はあった。
子供の名前はすでに決まっていた。観(みる)だ。物事を良く観察し、常に新しい発見をして行くように。
少しずつお兄ちゃんになっていく成は、少しずつ大きくなっていく佳代のおなかを触りながら、
「ここに赤ちゃんが入ってるんだね。」と分かったような口ぶり。
そのうち佳代のおなかがとても大きくなって、
観の足や頭がボコボコとおなか表面に出現するようになってくると、それを触って楽しそうにしていた。
「ここが足だよ。」「ここが頭だよ」などと教えると興味津々。
「赤ちゃんって、どっから出てくるの?」と成が言うので
「お母さんのチンチンとお尻の間に赤ちゃんの出口があるんだよ。」と教えると、
「え!?お母さん、チンチン無いじゃん!!」とナイスな突っ込みをする成であった。
そうこうしているうちに、遂に陣痛が始まった。
そのときは丁度俺は仕事中。まだ大丈夫と言うことだったので、ゆっくりと構える。
成は保育園に行っていて佳代は家に一人だったので、会社のお昼休みに一度家に帰って昼飯を届ける。
聞くとまだまだ大丈夫そうな感じ。
会社の時間も終わり、保育園に成を迎えに行く。保育士さんの話だと、成は園で熱を出していたらしい。大丈夫かしら・・・。
家に帰ると、佳代の仕事友達が来ていた。佳代は少し辛そうにしている。
「なんだかもう、やばそう!!」ということだったので、助産院へのお出かけ準備。
俺的には成の出産の時を思って「まー、また微弱陣痛みたいな感じで、生まれるまで一晩中とか掛かるんだろうな」と思っていた。
しばらく家も空けるかもしれないので、洗い物など残しとくと嫌だなーと思い、お皿をさっさと洗ってシンクまで洗っていたら、佳代が怒っている。
「もう! なにシンクなんか磨いとるん、早く助産院につれてけー!!」
その横で、佳代の仕事友達が大爆笑していた。
こういうときは速やかに事をなすべき。そうしないといつまでも伝説として残り、俺はその時の事を未だに言われているのであった。
実際、助産院に着くと進展は早かった。聞くと「二人目の時は一人目の出産で道ができてるから、お産は比較的早いよ。」とのこと。
成は佳代の仕事友達に連れられ、隣の部屋で休憩。
こちらは、またまた水中出産とばかりにお風呂につかったりしたが、それは空振り。
その後、畳の部屋に布団が敷いてあり、その部屋に行ってからが早かった。
佳代の背中をさすったり、後ろ側から支えたり。色々しているうちに、なぜだかどんどん人が増えてくる。
痛がる佳代に聞くと助産師仲間達とのこと。みんな佳代の応援&お産の勉強といった感じだった。
そのような和気藹々とした中、その雰囲気にパワーをもらったのか成も元気になり、
お産観戦特等席(足側)で佳代を応援。痛がる佳代に「痛いの痛いの飛んでけー、痛いの痛いの飛んでけー!!」と佳代を励ますのであった。
そして、観の頭が出てくると、「おおー、チンチンとお尻の間から、観が出てきたー!!」と成は大興奮。
「おぎゃー!!」と大きな産声と共に観が登場した。
二人目、観の時もオギャーの声にやはり感動!!
我が子のオギャーの声には、たぶん、感動と涙を誘う何かがあると思うのであった。
その後、ハサミを渡され、観のヘソの緒をジョキジョキ。やっぱり切れにくい。
生まれたばかりの観を渡され抱っこしている間に、佳代はお産の後処理。すべてが終わり、とりあえず平穏が訪れた。
以前のように、早速家族4人で川の字で寝ようかと思ったが、
成が風邪ひきさんのようだったので、大事を取って助産院のお隣の部屋で成と俺は寝ることに。
しかし、次の日には成もすっかり良くなったので、早速、助産院の一室で、家族4人で川の字で寝る生活が始まった。
しばらく成は、
「観ってお母さんのチンチンとお尻の間から出てきたんだよー!! 成もお母さんのチンチンとお尻の間から出てきたんだよー。」と
自慢げに俺に話しかけ、観を愛でる日が続く。
今回のお産では、「成も一緒に立ち会い出産」というチャレンジを行った。
大人的な考えで、「えー、子供にそんなの見せるのー?まだ早いんじゃない。」と言われることもあり、若干不安ではあったが、
お産だけに、案ずるより産むが易し。
その時の成は純粋に出産という出来事を楽しんでいた。
そして、佳代から観が出てくるその瞬間を見ることによって、観を、より自分の弟という意識が成の中で芽生えたように思える。
思えば俺が成の出産に立ち会ったときも同じ。
その瞬間を見ることにより、色々な自覚が瞬時に芽生えるという不思議な出来事が、成にも起こったのではないかと思う。
お産を子供が見るという事、
それは、赤ちゃんが自分のお母さんから出てくるところを見ることによって、無意識に「自分の仲間」という感情が生まれ、
それが家族感という物に成長していく、という事ではないかと俺は思う。
その後は1週間ほど助産院で家族みんなお泊まり。そして退院。
初め、里帰り出産とは異なり、近くに頼れる人もなく多少不安でもあったが、
助産師さん達のサポートによって、それらの不安はいつの間にか忘れていた。
お世話をしてくれた色々な助産師さんと、とてもおいしいご飯を作ってくれた人たちにとても感謝すると共に、
これから待ち受けるであろう、男の子二人という体力勝負!?の子育てに、期待とドキドキの俺であった。

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第三子誕生(晴の巻)

3人目が生まれることとなった。
子供の名前は成(なる)、観(みる)と同様におなかの中にいるときから決まっていた。
晴(はる)だ。周りを晴れ渡らせるような明るさと、晴れ渡るようなひらめきを合わせ持つように。
今回はどこで生むのかなと思っていたら、自宅で生むということだった。
「家なんかでどうやって産むの?」と聞くと、
「助産師さんが数人、お産の道具を持って来てくれるんだよ。それに、昔はみんな家で産んでたんだから平気だよ。」
とのこと。
「ふーん、そうなの?」というノリで自宅出産となった。
さすがに三人目となると、俺も慣れてきている。
たしかに、赤ちゃんが生まれるということは、別に病気などでは無く、生き物としてきわめて自然な現象なので、
経過が順調ならわざわざ病院などで生むこともないか。と、自分なりに納得。
そして、成と観が「はるー!!」とおなかの赤ちゃんに話しかける日々が続く。
遂に生まれる日。
今日はいつもと違い10分おきに陣痛がきてる。
でも、まだ生まれそうではなかったので、
みんなで家の2階寝室で寝ることとした。
途中、子供がトイレに起きて、そのついでに佳代は痛くなったら階段降りれないということで1階で寝ることに。
結構まだ余裕な佳代。
そしてみんなが寝静まった深夜3時。
「おおーい・・・。おおーい・・・」と幽霊みたいな、なんだか怖い声が聞こえる。
何だろうと思っていると、それは佳代の声だった。
1階に下りてみると、なんだか辛そうだ。が、まだ大丈夫と佳代が言うので、
まずは、俺はお風呂掃除と部屋の掃除。
4時になって、そろそろかなーということで、佳代は助産師さんに電話をした。
すぐに助産師さんが2人来た。しかし俺はまだ掃除中。
掃除も終わり、佳代の腰をさすってあげたりしていたが、5時になったので成と観を起こすことに。
「もうすぐ産まれるよー」と言うと、成と観は飛び起きてきて、「もう産まれるんか?」と二人とも興味津々。
たまに辛そうしている佳代をみて、励ます成と観。
しかし、早朝で眠いのもあり、また、なかなか産まれてこないので観は少々飽き気味。
しょうがないので「あっちでテレビでも見る?」とレンタルビデオ屋で借りていた獣レンジャーのビデオを見ることに。
観は獣レンジャーのビデオを、口をポカーと開けて眠そうに見ていた。
たまに、「ジューレンジャー♪ ジューレンジャー♪ 永遠の勇者たーちよーー♪♪・・・」と歌いながら。
その間も成は意外と元気。やはり少しお兄ちゃんになったためか、体力があって朝も強いみたい。
そして成は、たまに陣痛で痛そうにしている佳代の絵を描いていた。
今回は自宅出産。子供達も勝手知ったる我が家ということで、自然と落ち着いている。
暇になれば勝手にテレビをみたり、お絵かき帳を出して絵を描いたり、喉が渇けば自分で水を飲む。
下手に気を遣わなくて良い分、子供と一緒の立ち会い出産にもかかわらず、変な緊張もなくのんびりできた。
そうこうしているうちに、お産も本格的になってきた。
俺が佳代の後ろから支えて、腰などさすっている横で、観は「がーんばれ!がーんばれ!!」とおちゃらけ応援をしながら踊っている。
一方、成は佳代の手を握り、痛がる佳代を励まし、「良いお父さん」といった感じ。
そのうちに佳代がトイレに行きたくなり、間欠的にやってくる陣痛の中、がんばってトイレに入ろうとすると、横から成が現れ、「成もおしっこー」と横入り。佳代が先に行かせてと言うと「おしっこだけだからすぐに終わる」と成は譲らず、佳代はトイレの権利を奪われる。そして苦しんでいた。
成のトイレが終わり、佳代がやっとトイレに入ろうとすると、今度は観が素早く佳代の横をすり抜け「観もおしっこー」とまたまたトイレを奪われる。
2回もトイレの前で陣痛をやり過ごし、「勘弁してよー!!」と気の毒な佳代と、その光景がなんだかとてもおかしい俺であった。
そしてこの出来事は「お産時のトイレ事件」として、未だに語り継がれるのであった。
お産も最終段階が近づいてきていたが、なかなか陣痛のビックウェーブがやってこない。
聞くと、今日の満潮時間は7時4分頃なので、そのあたりでビックウェーブが来るかもしれないとのこと。
その波に乗ると、お産はスムーズに進む場合が多いようだ。
助産師の中では「満月の日にはあちこちでよく産まれる」とか、「満潮の時間に陣痛のビックウェーブがやってきやすい」とか、
「低気圧が近づくと***」など、いろいろと昔からの知恵のような物があるらしい。
また、それは結構当たるようだ。「お月様に傘がかぶっていたら、次の日は雨」のような、
理にかなった昔ながらの知恵みたいな物が助産師の世界にもあるんだなと、感心する俺であった。
そして7時少し前、予言通りビックウェーブが現れ、その波に乗ったサーファー佳代から、ついに晴が出てこようとしていた。
成と観は当然、特等席で釘付け。
観は「うわー、ウンコみたいなの出てきた!」「あ、毛が生えてる。」「顔がある!!」と、初めて見る出産に面白い反応。
成は観の出産を見ていたため、結構慣れていて「あ、顔出てきた、可愛い!」と喜んでいた。
そして晴の第一声。3回目であるがやはり、赤ちゃんの第一声泣き声という物は感動する。
成も少しお兄ちゃんになったためか、「成も(感動して)泣くかと思った」との感想。
観はまだ、赤ちゃんに興味津々といった感じで、しきりに晴を触りたがっていた。
当然その後はお祝いのテープカット、ではなくて、ヘソの緒カット。
成と観はハサミを持って晴のヘソの緒をジョキジョキ。
「なかなか切れないなー」と苦労している姿が微笑ましい。
後日、「ハサミで切ったおへそって何?」と成と観が聞くので、
「このヒモでお母さんと赤ちゃんがつながっていて、ここから赤ちゃんはご飯食べてるんだよ」と教えると、「スゲー!!」と感心するのであった。
産後は晴が生まれた部屋でそのまま、いつものように川の字で家族全員一緒に寝ることにした。
産まれた後、赤ちゃんと一緒に寝ることは大事なことだと思う。
新しく登場した赤ちゃんに、家族が仲間だと実感させること。
そして何よりも、新しく仲間に加わった赤ちゃんに対して、家族の一員であるということを家族全員が実感する事。
この2つの大切なことが、産まれたばかりの赤ちゃんと一緒に、その日から家族みんなで川の字になって寝るという、
ただそれだけで満たされていくんじゃないかと俺は感じる。
その後は1週間くらい助産師さんが毎日来てくれて、途中から佳代の母も愛知県から来てくれたので、
北陸に身内のいない俺たちであるが不便を感じることは少しもなかった。
今回は自宅出産ということもあり、初めはどうなるんだろうと思っていたが、事が済んでしまえば何も心配することはなかった。
逆に「勝手知ったる我が家」ということもあり、かえってリラックスできたくらいである。
成、観もかなりリラックスしてお産観戦(立ち会い出産)を楽しんでいた。
(絵を描いたり、勝手にビデオ見てたり、佳代からトイレを奪ったり!?)

自宅出産。
実はそれは、「自由で、真にリラックスできる、本当に贅沢なお産のスタイル」なのではないかと感じる俺であった。

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